桑名藩

まずは旧幕府側で参加した桑名藩である。
戊辰戦争時、柏崎は桑名藩(三重県北部)の飛び領地で、桑名藩11万石のうちの5万石を領していた。
当時の桑名藩主は松平定敬(まつだいら さだあき)。
美濃国(岐阜県)高須藩主で実父の義建は、水戸藩主・徳川斉昭とは義兄弟である。二男の慶勝は尾張徳川家を継ぎ、三男の武成は石見国(島根県)の浜田藩主、六男の容保は第9代会津若松藩主(1852年、嘉永5)や京都守護職に就任(1862年、文久2)するなど、バラエティーに富んだ家系の中に、七男として生まれた。
 桑名前藩主の松平定猷が1859年(安政6)に26歳で急死。嫡子の万之助がまだ3歳の幼児であったため、桑名に近い美濃国高須家から、定敬が養子に迎えられた。
この時定敬も14歳の若さだった。その5年後、1864年(元治元)には京都所司代に任命された。
こうして京都にやってきた定敬は、幕末の動乱に飲み込まれ、その戦火は飛び領地の柏崎まで及ぶようになる。

サイトMENU

Copyright (C) 2007 鯨波戦争 All Rights Reserved.
ファンデーション