東軍のその後〜おわりに〜

簡単ではあるが、各隊のその後の経緯を見ていく。
水戸藩を除く東軍勢は長岡城に収容され、そこで戦い、会津まで交戦するが庄内で降伏した。しかし桑名の一部は脱走し、定敬を追いかけて蝦夷地へ渡った。
中には土方歳三の新撰組に入隊(吉村暗殺の実行犯など)し、衝鋒隊と共に函館まで戦い続けた者もいた。衝鋒隊隊長の古屋は五稜郭にて、軍艦の砲撃により戦死した。また諸生派主将の市川は、明治2年2月東京青山で天狗派に発見され、水戸内で磔刑に処された。

こうして鯨波戦争は幕を閉じた。規模は小さいが、東軍が優勢のまま終了した戦闘はあまりなく、桑名藩の強さが垣間見られる。同時に弱冠23歳の立見鑑三郎が頭角を現した戦闘でもあった。彼は後に起こる朝日山の戦いでは、奇兵隊参謀・時山直八を討ち取る功績を残した。敗戦後はしばらくの間、世俗から離れていたが、西南戦争の際明治政府に呼び出され陸軍に入る。その西南戦争では陸軍少佐、日清戦争では少将、日露戦争では中将を担い活躍した。彼はのち、旧幕府出身としては異例の、陸軍大将に就任した。

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