新政府軍の動向

ここで官軍側の動向を見てみよう。
1月9日、朝廷は慶喜の大阪城脱走の報告を得ると直ちに、大津の東海道鎮撫総督府(総督・橋本実梁)に『桑名征討』を命令する。
桑名は京都から比較的近く、また徳川に忠実な松平定敬の藩であるため、官軍東征の第一ターゲットとなった。18日、肥後・備前・彦根・膳所大村・佐土原らの藩兵約2500名あまりを率いて大津を出発。22日に桑名から10キロの四日市に到着した。道中は何の戦闘も無かったという。
この時桑名には、前述したように、主力部隊はおろか藩主定敬もいなかった。留守番の家来は協議を重ねた結果、松平帯刀・三輪権左衛門・吉村又右衛門の三家老らの説得で、開城を決定した。27日、四日市河原町の法泉寺にある官軍陣営に、桑名前藩主の子松平万之助を立て出頭。まだ13歳の万之助の姿に家臣や町民、さらには官軍兵士さえも目に涙を滲ませていたという。

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