吉村権左衛門暗殺

しかし事件は起きた後であった。
桑名藩家老・吉村権左衛門宣範の暗殺である。
吉村は温厚な性格の人物で、桑名藩恭順派の中心であった。度々定敬に恭順を申し立てていたが、その行動は抗戦派の障りとなっていた。閏4月3日夕方、抗戦派の山脇隼太郎(十左衛門の息子)と高木剛次郎はついに行動に出る。
吉村は、柏崎陣屋の裏門から勝願寺(柏崎市)に向かうべく、裏道の粟嶋小路を付き人と歩いていたところを襲われた。右肩から胸板にかけて切られた吉村は、応戦しようと刀に手をかけるも、今度は左肩から同じように切られ倒れた。
付き人も応戦するが、剣術に勝る山脇に指を二本切られ逃走した。二人はのちに指名手配となったが、抗戦派藩士に守られ会津へ逃走する。
戊辰戦争後、山脇は横浜で事業家として成功。高木も渋沢栄一の目に止まり、東京商法講習所(現・一橋大学)の創設に参加するなど、華々しく天寿を全うした。吉村の遺体は実弟の鵜飼兵右衛門が引き取り、柏崎市西本町妙行寺に墓を置いた。廟は勝願寺にあり、戊辰戦没者と合葬されている。

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